雨と傘と母の日

ここ最近家でぼーっと過ごしたりなんかしてると、昔のいろんな出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。蓋をされてすっかり忘れてた記憶が余りにも次々と浮かんでくるもんだから、そろそろ死期が近いんじゃないかとすら思ってしまうほど、たくさんのことを思い出すことが増えた。

 

何日か前、明日の雨予報に備えて傘を買った。

 

当たり前のことではあるけど、実家にいたときは傘が家にあるなんて普通のことで、自分で買った記憶はほとんどない。自分で買うことなんて外出中の急な雨のときくらいだったと思う。雨が降ってれば当然のように玄関にある傘を勝手に持ち出して、当然のように電車や駅のトイレに忘れて家に帰る。大袈裟に言ってる訳でも何でもなくて、人生で傘をどこかに忘れて帰ったことは通算100回を超えてると思う。

 

いくら自分が無くしても気付けば新しい傘が当たり前のように玄関には置いてあって、そのことについて特に考えたりもせず自分もいつの間にか大人になった。

 

最近思い出した出来事の一つで、一度だけお母さんに傘を買ってあげたことがあった。

 

それは小学校の低学年のときで、友達と隣町のスーパーまでムシキングドラゴンボールデータカードダスのどっちかをやりに行った日のこと。帰り道の途中友達が数日後に迫った母の日のためにプレゼントを買おうと言い出した。

 

お母さん想いな友達は幼いながらも立派に花屋さんで真っ赤なカーネーションを買っていた。その友達の姿を見てた自分は、ぼく(低学年まで一人称はぼくでした)も何か用意しないとまずいんじゃないかと、妙に焦ってとりあえず目に付いた100円ショップに入った。母の日のプレゼントなんかこれまで用意したことのなかった自分は結局何を買ったらいいのか最後まで分かんなくて、なぜだか青い100円の傘を選んだ。

 

帰りの電車では真っ赤なカーネーションの花を大事そうに抱えた友達と、何とも気恥ずかしい素振りで青い傘を手に持った自分が夕陽差し込む車窓に並んで映ってた。かどうかまでは覚えてないけどきっとそんな不揃いな二人ではあったと思う。

 

家に帰って、少し照れながら100円ショップのシールの貼られた青い傘をお母さんに無言で手渡すと、予想もしてなかった息子からのプレゼントに物凄く喜んでくれた。それと同時にちょっぴり泣いてたような気もする。気のせいなのか、その通りだったかは今となっては分からないし覚えてない。当時子どもだった自分はお母さんのリアクションの大きさに少し恥ずかしくなって戸惑った気がする。

 

プレゼントを渡したっきりそそくさと部屋へと戻って、スマブラだかパワプロくんをやり始めた。その最中にお母さんが晩御飯の支度をしながらちょうど帰ってきた父親に向かって嬉しそうに今日の出来事を話す声が聞こえてきた。自分はもっと照れ臭くなって、一人顔を真っ赤にしながらテレビゲームに半ば無理やり夢中になった。

 

それから1年か2年後、我が家もついに小さいながらも念願の一戸建てへと引っ越した。これまでの団地よりも少しだけ広くなった新しい玄関には、当然とも言えるような佇まいでお母さんにプレゼントした100円ショップの青い傘が傘立てを占拠するように大事に立てかけられてあった。その頃にはプレゼントしたことなんかすっかり忘れていたけど、だいぶ使い込まれてる傘の状態だけは見て取れた。

 

さらに時は経ち、高学年を迎える頃には自分もすっかり反抗期を迎えて、お母さんとの喧嘩が絶えない毎日を送っていた。手を出したことはさすがにないけど、この頃からたくさんの暴言を何年にも渡って浴びせ続けてしまったと思う。

 

そしてある日のこと。朝学校へ行く前に何かを話しかけられたことが気に食わなかった自分は、そのときたまたま視界に入った青い傘を思いっ切りへし折って、お母さんに投げ付けてしまった。自分は泣き崩れる声を背中で感じながらも無慈悲に家を飛び出して、何事もなかったかのように学校に向かった。そんな出来事なんかお構い無しに、後悔や反省する心すら微塵もなくその日一日を楽しく友達たちと過ごした。

 

夕方家に帰ると、壊れた青い傘はどこにも見当たらなくなってた。いつも聞こえてくるただいまの声もその日だけは聞こえてこなかった。それでもいつも通りお風呂は沸いてて、いつも通りご飯も用意されてる変わらない日常。そんなことは当たり前だと言わんばかりにおかわりまでして、満足そうに当時の自分は眠りについたのだと思う。そんな風な一日だったと、何となくぼんやり記憶している。

 

そんな出来事を、ついこの前何気なしにコンビニでビニール傘を買ったとき、突然に思い出した。というよりも思い出してしまった。安物とはいえ青く映えていたあのときの傘とは対照的な無機質なビニール傘をまじまじと見つめれば見つめるほど、当時の記憶が湯水の如く湧いて止まらなかった。

 

そんなこともあってか、アパートに帰ると部屋に自分一人な状況がいい歳にも関わらず妙に悲しくて寂しくて、何だか涙が出そうになってしまった。さすがに堪えたものの、我慢しなかったらしばらくはしくしく泣いていたかもしれない。

 

お母さんへの感謝と恋しさとあの日の後悔と自分への情けなさと、いろんな感情が混じり合って体中で渦巻いて、言葉にならない複雑な想いを抑えるのに必死だった。

 

この前のゴールデンウィーク中、しばらくぶりに実家に帰るとお母さんはいろいろと心配そうに昔と変わらないお節介を焼いてきて、現状の生活についての怒涛の質問攻めをしてきた。それに対して自分は相変わらずの素っ気無さで適当に返事をしていると、元気なら良かったよと安心した表情を浮かべてた。安心させれたならこっちも安心ではあるのだけど、どうしてもその表情がどこか寂しそうに見えて、それに気付いた自分はやはり感傷的な気持ちになってしまった。

 

この歳にもなると親の有り難みは年々強く増すばかりなのに、親孝行の一つもできていない自分にとても嫌気が差す。

 

母の日から一週間以上も過ぎてから昔の出来事を気まぐれに思い出してお母さんの知らないところで勝手にしみじみと感傷に耽り、にも関わらず言葉や行動には移せない自分の情け無さ。いい加減それも今年で終わりにしたい。終わりにできるように努めたい。口だけに終わることの多い自分だとしても、いつもより強く思うくらいの悪あがきはしたい。

 

次に帰るであろうお盆の休みには100円ショップなんかではなくて、せめて成城石井あたりで何か手土産でも買って、それでもやっぱり恥ずかしさには敵わず無言になってしまうかもしれないけど、またちゃんと面と向かって思い付きで買ってきた何かを渡せたらと思う。