ラッキーボーイにはなれないけれど

西武の「中田祥」が小さく静かに輝いた夜。あの有名な日ハムの「中田翔」の間違いではなくて。

 

プロ12年目の中田祥多。通算出場試合数はたったの10試合で、ヒット数は未だ0。毎年戦力外の候補に挙がりながらもキャッチャーという特殊性のあるポジションであることも幸いしてなのか、ホームにどっしり構えるキャッチャーらしくしぶとくこの世界で根を張り続けてる。

 

神様はきっと見てる。腐らず頑張ってればいつか報われる。そんなことはクソ喰らえだって、「俺たち」は嫌になるほど痛感してる。綺麗事なんて成功者の特権でしかなくて、それでも成功者たちはこぞって日陰の人間に対して残酷にも綺麗事を当てはめようとしてくる。結果が全てで過程なんかは評価されないのが世の常。分かって欲しいけどそれがわがままであることは十分理解してる。でも認められたい。分かって欲しい。その分かって欲しい気持ちを全部ひっくるめて都合良く「人間味」だってことにして無理やり肯定してやり過ごす。逃げる。それでおしまい。消化できたとしても自己嫌悪は残る。

 

一生報われないかもしれないそんな世の中で、素直に純粋に真っ直ぐに爪痕を残そうとする美しさ。日陰だけにしか届かない小さい光。成功者はそんなの当たり前だってことにして片付けてしまうようなことでも、確実に勇気を貰う人は少なくない小さいけれど確かな光。中田祥多は今夜確実に「それ」だった。

 

4年ぶりの一軍スタメンマスクで、投壊状態の西武投手陣を手堅く引っ張って3失点までにまとめる好リード。

極め付けは8回表。ベテランらしい技術が光ったクロスプレーでの中田のタッチ。ホームに手を伸ばすランナーを先回りするように塞ぐタッチで同点を回避。コリジョンルールが適用された今だからこそ、お手本のようなプレーだったと思う。

 

裏の攻撃で回ってきた打席では言っちゃ悪いかもだけど、二軍の選手らしい変化球にまんまと泳がされた三振。ラッキーボーイになる選手っていうのはいいプレーをした直後にポーンと一本ヒットを打つことが多い。中田は惜しいファールもあったけど最終的には三振。ラッキーボーイになり切れない、いかにも日陰にいた男の打席だったのが、悔しさを前面に押し出しながらベンチに引き上げていく姿も相まって何だか愛おしく思えた。

 

キャッチャーってポジションは我慢のポジションだって誰かが言ってた。試合に勝てばピッチャーが褒められて、試合に負ければチームのまとめ役であるキャッチャーが責められる。大変な役目だと思う。中田祥多はキャッチャーという貢献度が測られにくいポジションで報われる「いつか」を腐らずに待ち続けた。正直今日がその「いつか」だったかは定かではないけど、少なくとも一ファンである自分の胸にはこんなにも響いた。

 

うだつの上がらない人生。無意味に生き延ばすだけの生活。毎日同じ時間に押し寄せる目覚まし時計。突破口を見出すことなんてとっくに諦めてた。諦めたんじゃなくて、中田祥多を見て諦めてた、って過去形に変わった。気分の浮き沈みが激しい自分はまたすぐにでも投げやりになるのかもしれないけど、数日間、数時間、数分だけでも一人の人間を前向きな気持ちにさせるのって物凄いことだと思う。

 

一人でも多くのファンが、観戦後電車に揺られながら、もしくは帰り道に立ち寄った飲み屋で、もしくは眠りにつく前に今日の試合を一人振り返る中で、今夜の中田祥多の目に見えにくい活躍を話題に挙げることを祈って。