クリスマス 2018

元々クリスマスに縁のない人生ではあるけれど、今年は生きてきた中で一番クリスマスを意識しなかった気がする。というのもいつも通り仕事だったから。いつも通り朝起きていつも通り働いていつも通り一日が終わった。いつも通り作業着汚していつも通り忙殺されそうでいつも通り死にたかった。クリスマスであることをすっかり忘れながら過ごした。

 

その日もいつも通り帰るのが遅くなった。とりあえずお風呂入ってからごはん。お母さんはいつも自分がお風呂から出るタイミングを見計らってごはんを運んできてくれる。いつも通りの納豆ごはんにいつも通りじゃない安っぽいスーパーの骨付きチキンが質素に並ぶ。あ、今日ってクリスマスだったんだ。このタイミングでやっと思い出した。

我が家のクリスマスは毎年豪勢ではなくともせめてものチキンだったりケーキをいつもの食卓に添えることで少しでも特別感を演出してささやかに幸せを割り勘する。

 

正直うちの家庭は貧しい。そのことに気付いたのは小学校高学年くらいだったと思う。子どもの頃のサンタさんからのプレゼントは猫のぬいぐるみだったりポケットラジオだったり。一方で友達が最新のゲーム機器だったりを貰ってたことを知ったときに自分の家の事情が何となく分かり始めたのかな、確か。子どもだったから気にしなかったけど住んでた場所も最初ぼろぼろの県営団地だった。

 

最近の話で言うとついこの前、親戚のお姉ちゃんの結婚式があった。場所は帝国ホテル。ちなみに帝国ホテルで結婚式やると500万かかるらしい。後から聞いて衝撃だった。

当日朝、親父の車に乗って向かう。駐車場に並ぶ高級車の数々。ベンツなんて冗談抜きで50台は見かけた。我が家はスズキのワゴンR。軽自動車で来てる人なんて完全にうちだけだった。場違い感満載で両親は苦笑い。俺も何だか恥ずかしい。

席に着いて式が始まった。どうやって食ったらいいのか分からない明らかに高級な料理と明らかに高級なワインとシャンパンが次々と運ばれてくる。ワインとシャンパンに至っては一口でも飲むとその消費分を補おうとスタッフが注ぎにすぐ駆け付けてくる。泥酔させる気なのだろうか。過剰なホスピタリティは時に人間を破滅へと堕ち入れる気がする。

席にはうちの両親と自分の3人に加えて会ったことのない名前も知らない親戚が相席した。さすがに両親はその人たちが誰なのか知ってたけど自分は最後まで分からなかった。

その人たちは経営者だったり海外出張に頻繁に行く大きな会社の役員だったりで、来年の日本経済の動向は〜、こんなイノベーションが〜、私の思う経営戦略は〜、とかレベルの違いすぎる話で盛り上がってた。凄いな、気まずいな、と思いながら横目で両親を見ると2人ともバツの悪そうな顔でこそこそとステーキを口に運んでた。あれは何か悲しい気持ちになったな。

 

話が飛んじゃった。クリスマス当日、スーパーのチキンがテーブルに並ぶのと同時に父親も帰ってきた。3人でごはんを食べる。3人で普段食卓に並ぶことのない、我が家にとって特別なスーパーの骨付きチキンを頬張る。うちの両親は仲が良い。これ美味しいね、どこで買ってきたの、あのお店だよ、ケーキも買ってきたよ、ずっと会話してる。ここは帝国ホテルじゃないから、両親は活き活きと自分たちの生活レベルに見合った幸せを2人で共有してる。自分は家では無口。だからそんな両親をいつも横目で眺めてる。結婚式で惨めな思いをしてる両親を直近で見てたから、何だか両親の笑い合う姿が微笑ましくて、愛おしく感じた。浜田のチキンライスの歌詞じゃないけど、自分はお父さんお母さんの子どもとして生まれてきたからスーパーの骨つきチキンが一番美味しいし何よりちょうどいい。何か食べてて泣きそうになった。

3人でにちようチャップリンのお笑い王決定戦をケーキを食べながら見た。やさしいズで両親も俺もたくさん笑った。やさしいズ、ありがとう。そして優勝おめでとう。

 

明日も仕事。早めに寝ないとだから急いで布団に入る。寝る前にSNSを開くと恋人同士で俗に言うインスタ映えのするお店で豪華なディナーを楽しんでる様子だったり、大勢の友達で集まってパーティをする様子が次から次へと目に飛び込んでくる。高級ブランド品をプレゼントに貰ったとか、こんなサプライズをしてもらったとか画面の向こう側はお祭り騒ぎ。見ててベタに虚しくなった。でも少しだけ。みんなはどんどん幸せになればいいんだなんてかっこつけたことを思って携帯の電源を消した。

 

枕元には昔サンタさんに貰ったポケットラジオ、部屋の隅には猫のぬいぐるみ。何かいいことあるといいな。目を閉じたらストンと一瞬で寝ちゃって、いつも通り朝が来た。そんな今年のクリスマスだった。終わり。